宮城県宇井群門眞町には1日1便だけ運航する小さな乗船場がある。運営するのは渡辺観光。加藤ノドカが入社したのは今年4月のことだった。
その日も出航時間が近づいていたが、1名の予約客が現れない。名簿を確認するノドカ。
ー安藤康之 40歳ー
「その辺探してこい!」と船頭の山口がいつもの調子で怒鳴るので、ノドカは安藤を探すため会社を出た。
ノドカはのんびり歩く。山口が怒鳴るのはいつものことで、まだ時間には余裕があった。森と水に囲まれた門眞町を歩いていると、旅行鞄を持った男性が公園のベンチで俯いていた。
「安藤さんですか?」と尋ねると安藤はハッとして立ち上がり、頭を下げた。「大丈夫ですよ。まだ時間はありますから」そう言ってノドカは安藤の横に腰掛けた。
ブランコで遊ぶ親子を見ながらノドカが聞いた。
「何かお悩みでも?」
「いえ…」と口ごもっていたが、少しずつ話し始めた。
「あの…恥ずかしながら、社内の人間関係が上手くいかず病んでしまいまして、ここを離れることにしました」
「ご家族も一緒ですか?」
「一緒に行こう、と肩に手をかけようと思いました。でも、やっぱりやめました。一緒に行くことはできません」
「そうですか。ご家族と離れるんですねぇ」
「心残りは妻と幼い子供です。妻と離れる寂しさと、子供の成長を見れない悲しさと…。でももう引き返せないのはわかってるんです」
「出発前にしっかり話はされたんですか?」
「いいえ。その代わりに手紙を書きました。話すと決心が鈍ると思いまして。でも家を出たらやっぱり寂しくて。姿が見たくなって遠くから妻と子供を見ていました。わかっていても別れは辛いものですね」
「私なんかが言うのは失礼かもしれませんが」と前置きして、ノドカは話し始めた。
「きっと安藤さんの想いは奥さんとお子さんに届いているはずです。お互い寂しさはしばらく続きますが、それでも笑って過ごせる日が必ずやってきます。安藤さんも奥さんもお子さんも。そうやって人って成長するんじゃないですか?子供なんて特に」
なんちゃってー!と変なポーズをとってノドカは戯けてみせた。
安藤はブランコで遊ぶ親子に自分たち家族を重ねた。妻の顔、子供の顔、そして自分の顔。
また一緒に暮らせる日がくる。そのときには子供は自分を追い越しているんだろうなぁ
安藤が立ち上がった。
「お待たせしてすみませんでした。決心がつきました」
ノドカも微笑んで立ち上がり、二人は乗船場へ歩きだした。
山口が声を荒げる。「ノドカ!全員揃ったか?!」
「ハイ!7月4日死亡の3944名、初七日に間に合いました!出航OKです!」
船はゆっくりと乗船場を離れ、三途の川の霧の中へ消えた。
コメント